嘲笑

嘲る(あざける)とは軽蔑して悪く言ったりバカにすること。 嘲笑とはあざけって笑いものにすること。

私たちの生きている意味がもし、日々の生活においてする一挙手一投足の着眼点がそもそもズレているどころか、全くの真逆だとしたら・・・  私たちが本物と思っているこの世の価値観や成功などというものは、蜃気楼の如く幻だということになります。つまりどうせ死ぬがための無駄な行為を日々繰り返しているということになります。もし、この世界が蜃気楼のごとく成り立っている構図だとしたら、本質は他にあるに違いありません。この世は全て物質という実体があるかの如くで形成されていますが、そもそもその物質とは確かに本物の実体なのでしょうか。あると思える物や価値観、私たち人間の肉体も永遠性はなく朽ち果てます。朽ち果てる物質は正真正銘の本物なのでしょうか。人間には心理機能、生理機能、五官が備わっています。私たちが日々、仕事や遊びや様々なシーンに用いている機能。例えば心臓の運動機能、直感や無意識行為(歩行)など。勝手に直感が働く、勝手に機能が備わっている、勝手に心臓が動いている、勝手に自然がある、勝手に魚がいる、勝手に花が咲いている。勝手に生活している。この世を回している全ては、人間の勝手なこじつけなのではないでしょうか。人間の都合の良い解釈で本質を捻じ曲げてはいないのではないでしょうか。それが今の人間に共通する考えであります。考えというか、生まれてこのかた刷り込まれた自我という強力な落ちようのない汚れのようなもので、それが生活の一部に雁字搦めなっているため、刺さらないということでしょう。共感することはあるでしょうけど、激しく共鳴が難しいのではないでしょうか。絵に描いた餅ということです。つまりかくいう自分自身もその本質には遠く、頑固な汚れに気づきながら、縛られつつ言葉を発している状況。これじゃ確かに絵に描いた餅ですし、性根は自分も嘲る一人と思われても仕方ありません。

そういう一筋縄ではいかない 本当に高度なレベルの高い話を伝えようとしているのは確かということです。


本当の真実とは

西暦とはキリストの誕生の年(実は生後四年め頃)を元年として数える、年代の数え方。

聖書とは。クリスマスとは。日曜日とは。どれも意味があります。そしてその始まりは全てイエスと言う一人の人物に関わります。聖書にあるイエス・キリストです。この内容に関しては、絶対に否定できない、れっきとした証拠があるということで、でっち上げやおとぎ話とはわけが違います。もし西暦という概念ががでっち上げなら、なぜここまで世界基準になりえるでしょうか。西暦が胡散臭いと日々思い続けている人など皆無です。実は人間が存在する意味は、この部分に重要な真実が隠されていることが、わからない状態です。まさに、意味、意図を履き違えている結果が、この混沌とした文明に反映している結果になっています。真実とは、うそや飾りのない、本当のこと。まことの意味。どういう角度から検証しても疑いようがないこと。「今、2018年です。」という話は果たしてうさん臭いでしょうか。その部分に疑問を持つ人がいるでしょうか。そうじゃないかもしれないと思う人など世界中誰一人としていないと思います。強引に捻じ曲げたような疑問を呈す人はいると思いますが、そういうねじれた人は別として、基本真実とはそういうことだと思います。ごく自然で偽りのない、当たり前であって当然のこと。信じたい・信じるといった概念がない状態のこと。100人いて1人でも本気で疑問を呈する事柄は、真実とは言い難いとは思いませんでしょうか。それを私たちが生活する周りの状況に当てはめるとすると、政治・経済・宗教・教育などがありますが、そのどれもが真実とは言い難いと思います。自分はこの世界を信じている。と言う方がほとんどだと思いますが、実際は嘘や偽りの繰り返しというのが、この私たちの生活環境ではないでしょうか。それに人生の重きを置いています。それが正しい生き方だと思い込んでいます。果たして人生の真の目的がこの世の成功なのでしょうか。私たちは、そこに照準を合わせ続ける限り、自分がどうあがいても 死ぬまで本当の真実には到達しえないと思います。それはつまり、私自身もしかりということです。

 

 

 


現代文明の間違い_再

現代文明に流れている基本原理は、即物主義、唯物主義です。即物主義とは、現象が実体であるという考え方です。目で見ている通りのものがあると考えるのです。これがヨーロッパ人の思想です。現代の日本人も皆こうなっています。これを、般若心経では色蘊といっています。五蘊皆空の蘊という字ですが、蘊とは人間の中にある迷いのようなものです。色蘊とは、物質が存在するという思想です。色蘊が現代文明の基礎になっています。これが即物主義なのです。物に即してすべてを考える。生活でも、生命でも、すべてを物に即して考える。これが近代文明の特徴です。ところが、これが間違っているというのが、般若心経の見解なのです。これが釈尊の根本精神なのです。空というのは釈尊の非常に優れた思想です。人間が、現在肉体的に生きているという考えは、間違っているといっているのです。そのとおりです。人間は命で生きているのであって、肉体で生きているのではない。ところが、現代の医学は、人間の命は生理的なものだといっているのです。例えば、心臓が止まることが死である。脳波が止まることが死であるといっているのです。これは物理的な考えなのです。命は物理的なものではなくて、霊的なものです。物理的な面もありますが、心理的な面もあるのです。従って、命を正しく知ろうと思えば、生理的な面だけを勉強してもだめなのです。ですから、現代人は生きてはいるけれども、命が分かっていないのです。こういう間違った生活のしかたをしているのです。これが肉の思いという概念でありまして、その結果、人間は死ななければならないことになるのです。生きていながら命を知らない。これは誠に不合理な話なのです。皆様方の心臓は神と対話しています。花は咲いていますが、咲いているという現象は、花が神と対話していることなのです。人間が生きているというのは、花が神と対話しているようなことです。皆様方の目が花を見て美しいと思うのは、花が神と対話している状態を、美的感覚で捉えて美しいとお感じになるのです。つまり皆様方の目は命を見ているのです。花を見ているのではなく、命を見ているのです。花が神と対話している状態を命と言 うのです。目は命をつかまえるだけの力を持っているのです。ところが、思いは命を捉えるだけの力を持っていない。これを迷いというのです。無明というものです。なぜそうなるかといいますと、神が分かっていないからです。本当の霊が分かっていないからです。私の言う霊というのは、日本の霊ではありません。もっと大きい霊なのです。地球が現在動いているそのことなのです。地球を造った霊なのです。人間を造った霊なのです。皆様方の命を現実に支配している霊です。これが分かれば命が分かるのです。「梶原和義ブログ」より引用


疲弊する世の中

世の中の仕組みが露呈されればされるほど、人の生きがい、生きている意味をいうものを本気が考えると思います。それが、仕事を通じてか、学校か政治か人か、それは様々でしょうが、根底にある幹は一緒だと思います。こう言いながらも仕事をやらないわけにはいきません。人と接しないわけにはいきません。そういう矛盾した状況で私たちはこの数十年の人生において、何を掴むべき生きているのかを問いかけるには、この疲弊していく世の中であればあるほど、本質の実体を捉えるチャンスでもあると思います。その本質に出会えるか否かというのもまた、その人の魂の叫びによるというのかもしれません。

 

 

以下は世の中の仕組みの一旦の話・・

「もう、銀行の破綻は日本だけでなく、EUやアメリカでも予測されているので、今、G20でも銀行の破綻をどうやって処理するか……が既に議論されていますよ。」
「安倍政権と黒田日銀総裁が展開した『異次元金融緩和』はいずれ破綻を迎える。今わかっているのは、日銀がアベノミクスで買い込んできた膨大な国債や株式がクラッシュすると、日銀自体が倒産することが判明している。本来は日銀は自分の資産で穴埋めできるように積立を行っているが、その金額は3兆円しかない。それでは、今回の焦げ付きの穴埋めは到底できず一瞬で倒産となる。」
「日銀が倒産する?すごい状態ですね。どうするんですか?」「で、IMFのSDRで捻出しようとしていると思う。」

※IMF……International Monetary Fund(国際通貨基金)本部はアメリカのワシントンDC。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本の5カ国が理事を占有し各国の為替や通貨をコントロールしている。

※SDRとはSpecial Drawing Rightsの略でIMFの特別引出権のこと。2016年3月現在で2041億SDR(約2850億ドル相当)が発行され加盟国がいざというときに使えるよう配分されている。https://goo.gl/G1z7ss


「だから、これからの【焼け野原】のあと、どういう世界を築いていくか……を考えたほうがいいと思うよ。」先生はそう話しました。そのあと、先生の講演を聞きました。緻密に日本の全金融機関やあらゆる経済データを分析しておられ説明されました。そのボリュームは10万件ぐらいになると言っていました。「おかしいですよね。日本の財務省や東大の経済学者や野村総研とか、こういうデータを分析して意思決定していないのですか?」「してないですよ。」「アメリカはどうです?」「してないです。」「どういうことですか?変ですよ。」「この金融システムの本質や根幹を研究してしまうと、アメリカの大学では『抹殺』されます。だから、ノーベル賞経済学者でもしないように避けている。そして、その学者の弟子が東大やアメリカの政権を官僚で担う……間違った経済学を学んでやることになるから、まともな舵取りができるわけないじゃないですか。」
「なるほど。そこまで、世界金融資本のタブーは深いんですね。」
「それから『公共貨幣』でシステムダイナミクスを用いて予測されている日本経済の未来ですけど……人口減少のパラメータは入っていますか?」「ちゃんと入れてあります。」「じゃあ、やっぱ、あの通りになりますね。」
そのあと、息子さんと話しました。24歳でノルウェーの大学院に行ったそうです。今度はイギリスに留学しようと。お父さんが優秀な経済学者なのですが、息子さんも羽生君みたいな美男子・好青年でびっくり。彼は、馬鹿にするどころか 私の話を熱心に聞いて「三次世界大戦起きますか?」と残念がっていました。「どうして?」ときくと
「みんなの意識で社会は出来上がっていくから、みんなが戦争になると思うと、現実社会もそうなると思うんです。だから、私は戦争にならないように……と思うようにしています。」……おー、団塊世代のクソジジーより、ぜんぜんまともですね。今の若い人は、
そういう「いい子」が多いです。物欲世代じゃなくて、精神的な世界を指向する人が多い。私は、心や魂がきれいな……こういう子達をゆがんで悪魔教に支配された社会システムとブラック企業で、すりつぶして殺していく経団連とか安倍政権のほうが悪いだろうといつも思います。「残念だけど、どんなに山口先生が優秀ですばらしい結果や主張をしても、あっちはべらぼうな金を使って電通を使って、末端市民を洗脳してしまう。だからね、私も、マスコミとつきあって痛感しているから。正論とかでなくて、これは【広告戦争】なんだよ。」そう、彼に話しました。

■ビットコインは既に崩壊
そのあと、安倍内閣に助言をしているという日本安全保障・危機管理学会理事で情報セキュリティ研究所の中村宇利先生の講演を聞きました。
日本安全保障・危機管理学会(見たら笑える)
http://www.jssc.gr.jp/

世の中狭いので。私も右翼も左翼も、加計の問題ひとつとっても、賛成派も反対派もなんでも人脈があるので交通整理が大変です(笑)ま、私も、防衛省OBのNPO法人の会員ですからね。だから、今回政治の世界につかって思ったのは「どこが悪いでなくて、誰が悪い、いい」になることが多いということなのです。世の中は「モザイク」です。そして事実は小説より奇なり。中村先生はMITに行っていたので、アメリカのITセキュリティの専門家です。面白かったポイントを読者に伝えておきます。


1.インターネットバンキングのSSLなどの認証は「ザル」ハッカー攻撃にはまるで耐えられない。


聞いて脱力・無力感に襲われた方も多いでしょうが、そんなものです。中村先生も銀行に散々警告していたそうですが、無視され各銀行はセキュリティに弱いシステムで運用を続けています。

2.海外旅行でクレジットカード使ったら、ほぼ確実にのっとられ勝手に利用される

どういうことかというと、現地でそもそも、店と泥棒が「結託」している。クレジットカードの暗証番号を入れるところでも、本人は隠しているようでも監視カメラの映像などで手元を録画しているのでそれが泥棒に売り渡されている。いっとき、ゴルフ場のロッカールームで富裕層のカードが次々スキミングされていた……ま、そんなものです。
中村氏もアメックスのゴールドカードをレンタカー使っただけでカード情報を盗まれ、勝手に利用されて11万円使われたけど、カード会社にどんなに抗議しても「あなたが使ったことにしかならない」と門前払いで、むかついてアメリカで弁護士を立ててようやく取り返したそうです。でも20万円ぐらいかかったので差引マイナス……うっぷん晴らしにしかならないと。

3.ビットコインはシステム的に既に破綻している

 ビットコインは、もともと「フリーウェア」で責任所在がないシステムのため、各国で勝手に低性能なサーバーの寄せ集めで日常決済を行っているゆえ、すでにシステムがオーバーしており、1回の決済で17分かかっている。ビックカメラでビットコインが使えるというのは「見かけ」だけで、ビックカメラの代わりに交換所がお金をその場で立替えているだけなので、実際の処理は交換所が裏で17分遅れでやっている。いまや、日本でビットコイン決済ができる店はないだろう。つまり、まったく使い物にならない。しかも、膨大で世界中に散らばっているサーバーにある取引情報も「死んでいる」ものすらあり、安全性も信頼性もまるでない。
……ま、私が昨年から言ってきたように「ビットコインなんてやるな」ここでも、裏づけされただけです。

内海新聞より引用

 

 


宿 命

意味としましては、生まれる前から決められていることであり、避けることも変えることもできないこと。

  ・・・私たち人間は大人になるにつれて様々な矛盾に直面しなくてはならない宿命があります。矛盾とは日々の生活においてのこと。政治・経済・教育といった人類形成の根元の機能。広く言えば、災害もそうです。人間誰しも様々な矛盾を感じる出来事があるはずです。様々な矛盾に憤りを覚えながら、それを押し殺して生きています。人間の存在意義とは何なのでしょうか。

アウフヘーベンという言葉の概念があります。あるものを、そのものとしては否定しながら、更に高い段階で生かすこと。矛盾するものを更に高い段階で統一し解決すること。矛盾・対立する2つの概念を、その状態を保ちつつ、より高い次元段階で統合、発展させることを指す。深い言葉だと思いますが、これは、この世的なこじつけの作業では本当の意味でのアウフヘーベンはありえないと思います。根本なる人間の存在意義に突っ込まなければなりませんが、そこの高い段階に自分を持っていかないとそういう段階があることもまず気づかないですし、高い段階に意識を合わせても、道を外れてしまう場合もあるでしょう。人間には、自我(現象)意識という強烈な意識を持ち合わせています。ですが、裏を返すと、心理機能、生理機能、五官と言う自我には無縁の意識というのも存在します。それが自我意識のおまけみたいな感じでごく当たり前のように捉えていますが、深くたどればここが本当の意味でのアウフヘーベンする鍵だと思います。「 死 ぬ 」ということにも直結します。そこに思いっきり切り込んでいくことなのですが、それは誰かが代わりにやってくれるわけではなく、私自身ということです。


続 「 捨 」

いま私たちの世界は確かに本物のように見えます。誰もが疑う余地もないリアルな世界に身を置き、死という現実に対して曖昧なまま、意識・無意識関係なく目を背け続けて(都合よく天国へ直結させている)、地球の世界に意識を投入し続けています。地球という地にしっかりと足をつけて生活をし、一歩一歩踏みしめて生きているということに、何の疑問もなく過ごしています。はたして私たちの地球上での人生が、この文明社会が、人間の存在意義の本質なのでしょうか…。日々、仕事や家庭、趣味や遊びにお金という価値観を絡ませて人生を謳歌? しているような世界です。しかし実際は病気や戦争、事件や事故、あらゆる災害に常に見舞われ続けています。経済も限界を迎え始めた様相を呈しています。人間はたかだか80、90年あまりで朽ち果てます。劣化し、最終的には死んでしまいます。人によっては寿命の限界を前に、病気や事故、災害、戦争や殺人などで自分の意思とは関係なくその人生を終える場合もあります。五体不満足で生きざる得ない人も沢山います。一体その差はなんなのでしょうか。人間は人間同士、心の中で常に差別・優越をつけながら、うまく社会を形成している笑顔とは裏腹に、本心は妬み、嫉妬、憎みや憎悪が本音でいる薄汚い存在が、私たち人間社会の現実です。つまり、にっこり笑った挨拶が、偽りということが文明の本質となっていると思います。その土台の上で価値観を形成しています。その上人類は、平等・平和などと謳っている矛盾極まりない状態ということです。それが本質だから仕方ない、それが本質だから諦めよう、それが全てだから… という思いは、何か違うのではないでしょうか。心理機能、生理機能、五官を備えた私たちはそこまでのチンケな存在なのでしょうか。果たして朽ち果てる肉体が本物の自分なのでしょうか・・・。

私個人も確かに それ  に翻弄され続けてはいます。ですがこのまま死んではならないという精神は持ち合わせています。的確な事実に基づくことによって、死ぬまでのの人生の本当の目的を通して、その後の結果に反映されるという事実(真実)は、完全無欠の答えが出たあとには手遅れであって弁解の余地もないことは、誰の目にも明らかだからです。このまま手をこまねいての、その結果が死に至るのならば、どんな状況にあろうとも「何が何でも死にたくない」と思うのが本音なのではないでしょうか。


「 捨 」

「 捨 」 単純で明快な言葉です。
「迷いを捨て」「邪心を捨て」「恐怖を捨て」「自分を捨て」「命を捨てて」

言葉で言うのは簡単です。人間には自我という厄介なものを持ち合わせています。自我があるという、そういう意識はしていなくても、自分自身に対する、個人の意識・観念などがない人間は皆無です。現在の人間生活における環境は、教育・政治・社会構造に関して様々な悪い問題が生じています。また、社会や、教育、家庭などによって精神が歪み様々な発達障がいを持った子供や大人が驚くほど多くなってきています。そういうものを抱えた人が大人になり教育者や政治家として世を席巻している実情があることも意識しなくてはならないと思います。そういう人は得てしてIQが高い傾向にあるからということもあるからです。このように自我による人間の営み上での結果が、人間社会の混乱にあらわされていると思います。失望や絶望、恨みや妬み、憎しみなどにより、戦争、犯罪、自殺があとをたちません。社会生活の営みだけでなく、人間の肉体も様々な病気や怪我のリスクにさらされています。さらにこの地球自体も地震や温暖化、様々な災害というものが現象としていつ起きてもおかしくありません。今の人間はそういう危険やリスクが当たり前だと誰もが信じで疑いません。東日本大震災の時のように、人間はどうしようもない無力感というものを突きつけられます。人はそこで絶望感に苛まれます。そもそも人間は、地球に生きていることに対し、なぜこんなにも不公平で不平等で、もろく儚い立ち位置なのでしょうか。果たして人間の存在とは、死ぬまで文明生活に執着し、ただ老いて、死ぬことのみが真実であり、ただこの世の成功が人間の存在意義の前提となっているのでしょうか。自分自分と人は言いながら、根本的になぜ国や生まれた場所や性別や環境を自分で選べなかったのでしょうか。それが叶わないのであるならば極論、人間は所詮虫けらのような生命体に過ぎないのでしょうか。そのことに関しては人は本気で疑問を抱かず、何かに問いかけることなどないと思います。そもそも何に問いかければいいかもわからなのです。そういう事情で仕方なく日々の仕事、食事や娯楽などに重きをおいて考えないようスルーし続けて、死ぬまで文明生活に没頭せざる得ないという事実があるということに疑問を呈し、固定観念にとらわれずアンテナを張っていざその時に直感的に感じられるかどうかが、本当の真実に出会える鍵となると思います。


”感じ” るセンス

直感・感覚・感性といったものは、日々私たちが無意識に用いているものです。

イメージが湧いた。予見(察知)した。感じとった。という類の話です。

それに意識がどう従い、どう切り分けていくかが、私たちがこの人生を生きている本質(目的)を捉えるセンスみたいなものに直結するような気がします。例えば、億万長者になった道筋において直感・感覚・感性を用いて、その通りになったとします。果たしてそれが人間が生きている本質(目的)の答えでしょうか。それとも、実は遠ざかっているのでしょうか。その意味が今の人類には見分けがつかず、盲目になっていると感じます。たとえ億万長者になろうとも、その裏で多くの裏切りや妬み、嫉妬が渦をまいています。人一人の人生が、人一人で完結するわけではありません。この世のありとあらゆる資源を人一人で形成して自給自足している人間などいません。オギャーと生まれてこのかた、水をはじめ、多くの資源を拝借している形です。それを応用して車を作ったり、料理を作ったりとしているにすぎません。いくら億万長者になろうが、お金の力で水一滴も創造することはできないのです。億万長者の意義とは一体なんなのでしょうか。しかも死んでお金は持っていけません。ですが、この世の価値観は億万長者という定義においていわゆる人生の成功者であり誰もが羨む存在と位置付けています。名声を得たい、ラクしたい、いいもの買いたい、あれしたい、これしたい・・。欲望の象徴がお金と言っても過言ではありません。ことわざに  井の中の蛙大海を知らず  とあります。文明、つまり物質が人生の目的の全てという人は大海を知ろうと思いません。そもそも、文明以上の大海などあるはずがないと思い込んでいます。人間は大海を知らずに死んでいくのが当たり前となっている。当然文明生活が人生の本質(目的)と思わざる得ません。ただ人間は一度でもこの社会生活が正真正銘の正しい世界、完全無欠の偽らざる世界だと心にも思わない湧き出る心情(良心)があることは確かです。それが億万長者であれど、その湧き出る思い(良心)というものは、避けようがないのもまた事実でしょう。そして本質(目的)を掴むか否か、さらにいえば、本質(目的)に出会うか否か。それは究極のセンスと言っても過言ではないほどの壮大な事柄です。

 

 

 

 


劣化のみ

今の世の中というものは、政治も教育も含めて、どんどん質が劣化していっている様相です。そしつその劣化度は速度を上げて今後も続いていくでしょう。これだけ科学の進歩で便利になり、食べ物も溢れ、人間の生活が豊かになっているにもかかわらずです。

この時代、得てして私たち人間の質を蝕む要因とは何なのでしょう。

お金がモノをいう価値基準。そういうもので人間の優劣を決定づけてしまっている世界。全てではないけれども、ほぼそういう目に見える物質が人生の目的をリードし形成していると言っても過言ではありません。ですから、実は人間の存在本質は別にある!と説いたとしても、それは紛い物と勝手に決めつけたり、みんなが言うからと他人依存で白黒決めつけたりし、目に見えるもの以外は本質を理解しようとも考えようとも見向きしようともしません。むしろ、表立って胡散臭い宗教に人は群がる傾向があります。

それはそうです・・ いいことしか言いませんから。持ち上げてくれるし、

理解してくれるし、嫌なことは言いませんし・・

でもしっかりとお金は取られるのですが・・(笑

しかし そこはいいのでしょうか・・ 

世界でだいたいですが、大小含めると数千もの宗教が存在するらしいです。

本人がいいのだからとはいえ、しっかりとした裏付けも信憑性もない宗教というものが、なぜこんなにも支持されているのか。それこそ洗脳というテクニック故なのでしょうが・・・いや、宗教どころか、この文明こそが騙しの根本ならば、むしろ騙されない人間など皆無なのではないかと。つまり、政治、経済、教育というせ人間生活そのものということ・・



荒唐無稽 こうとう-むけい

意味は、言説などがでたらめでよりどころがないさま。▽「荒唐」は言説などによりどころがなく、とりとめのないさま。「無稽」は根拠がないこと。でたらめであること。ここ最近の世の中は様々な事件が起きています。政治や教育という類も品格を疑う事柄ばかりがまかり通っています。多分、表沙汰になってないことも多いことでしょう。こんな世界が荒唐無稽じゃないとすれば、一体何のために人間は存在するのでしょう。そもそも死ぬということは何なのでしょう。自分が生きていると思っていることは正しい意識なのでしょうか。そもそも自分は誰なのか。そういう確信に気づき、人間が生きることの意味に疑問を持つ人がいてもおかしくないと思います。

 

 


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