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人間の人生はマスターベーション

タイトルにあることは結局人生全てが。という意味合いということです。仏教用語で諸行無常とあります。日々人生を謳歌する中で、ふと何となく虚しい。何が虚しいとは目標を持ってやっている「これが」ではなく、人生「全て」がそう思える時ってないでしょうか。自分が深く考えることによる衝動ではなく、魂の叫びというか、湧きいずる思い  そういう意味です。ポツンと心に穴が空いた感覚という・・。ここ最近 終活 という言葉が多く耳にします。自分が自分の墓を買い、死に向けて準備をしていくのです。死という概念が今の社会では明確に説かれていません。言われることがまちまちで、非常に曖昧です。曖昧ならいいように捉えるのがこの世的な発想でしょうか。教育だってそう。科学もそう。宗教なんかはその一翼を担う筆頭なのではないでしょうか。物質は「ない」ということを考えると、死んで肉体はもちろん消えて無くなります。消えたら私は無になるのでしょうか。その明確な方向を定義づける人間など誰一人としていませんでした。「死」は世界70億誰一人例外なく訪れます。今の文明は、それよりもお金儲けが最重要事項なのです。「死」は世の風潮では曖昧でありますが、何となく悪くない。そこには自分の意見はなく、セカンド・オピニオンを受けることによってのクオリティーオブライフの向上という・・・まさに世界人口総患者の様相ではないでしょうか。それはいい。それはそうだ。そう信じよう。安心して死を迎えられる。という何の根拠もない説得力・・。結局のところ、この世の文明社会という絶対が自分の中に強烈にあればあるほど、何をいってもチンプンカンプンなのではないでしょうか。たとえ真実であろうがです。「死」とはのんべんだらりんと迎えるものではなく、この世の生活スタイルと密接に関係していることを、肌で感じなければ、この地球での人生の意味がなくなるということを肝に銘じなくてはならない事実が、そこにあるということです。無関係では済まされない事実がです。

この世の富、名声、お金など、死をもってすればちりにも満たないものなのに、何というこの文明はええカッコしいばかりの滑稽な人間ばかりなのでしょうか・・。

 

梶原和義ブログ

「死とはなんでしょうか」


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  • 2018.09.20 Thursday
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