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続 「 捨 」

いま私たちの世界は確かに本物のように見えます。誰もが疑う余地もないリアルな世界に身を置き、死という現実に対して曖昧なまま、意識・無意識関係なく目を背け続けて(都合よく天国へ直結させている)、地球の世界に意識を投入し続けています。地球という地にしっかりと足をつけて生活をし、一歩一歩踏みしめて生きているということに、何の疑問もなく過ごしています。はたして私たちの地球上での人生が、この文明社会が、人間の存在意義の本質なのでしょうか…。日々、仕事や家庭、趣味や遊びにお金という価値観を絡ませて人生を謳歌? しているような世界です。しかし実際は病気や戦争、事件や事故、あらゆる災害に常に見舞われ続けています。経済も限界を迎え始めた様相を呈しています。人間はたかだか80、90年あまりで朽ち果てます。劣化し、最終的には死んでしまいます。人によっては寿命の限界を前に、病気や事故、災害、戦争や殺人などで自分の意思とは関係なくその人生を終える場合もあります。五体不満足で生きざる得ない人も沢山います。一体その差はなんなのでしょうか。人間は人間同士、心の中で常に差別・優越をつけながら、うまく社会を形成している笑顔とは裏腹に、本心は妬み、嫉妬、憎みや憎悪が本音でいる薄汚い存在が、私たち人間社会の現実です。つまり、にっこり笑った挨拶が、偽りということが文明の本質となっていると思います。その土台の上で価値観を形成しています。その上人類は、平等・平和などと謳っている矛盾極まりない状態ということです。それが本質だから仕方ない、それが本質だから諦めよう、それが全てだから… という思いは、何か違うのではないでしょうか。心理機能、生理機能、五官を備えた私たちはそこまでのチンケな存在なのでしょうか。果たして朽ち果てる肉体が本物の自分なのでしょうか・・・。

私個人も確かに それ  に翻弄され続けてはいます。ですがこのまま死んではならないという精神は持ち合わせています。的確な事実に基づくことによって、死ぬまでのの人生の本当の目的を通して、その後の結果に反映されるという事実(真実)は、完全無欠の答えが出たあとには手遅れであって弁解の余地もないことは、誰の目にも明らかだからです。このまま手をこまねいての、その結果が死に至るのならば、どんな状況にあろうとも「何が何でも死にたくない」と思うのが本音なのではないでしょうか。


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  • 2018.08.13 Monday
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