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「 捨 」

「 捨 」 単純で明快な言葉です。
「迷いを捨て」「邪心を捨て」「恐怖を捨て」「自分を捨て」「命を捨てて」

言葉で言うのは簡単です。人間には自我という厄介なものを持ち合わせています。自我があるという、そういう意識はしていなくても、自分自身に対する、個人の意識・観念などがない人間は皆無です。現在の人間生活における環境は、教育・政治・社会構造に関して様々な悪い問題が生じています。また、社会や、教育、家庭などによって精神が歪み様々な発達障がいを持った子供や大人が驚くほど多くなってきています。そういうものを抱えた人が大人になり教育者や政治家として世を席巻している実情があることも意識しなくてはならないと思います。そういう人は得てしてIQが高い傾向にあるからということもあるからです。このように自我による人間の営み上での結果が、人間社会の混乱にあらわされていると思います。失望や絶望、恨みや妬み、憎しみなどにより、戦争、犯罪、自殺があとをたちません。社会生活の営みだけでなく、人間の肉体も様々な病気や怪我のリスクにさらされています。さらにこの地球自体も地震や温暖化、様々な災害というものが現象としていつ起きてもおかしくありません。今の人間はそういう危険やリスクが当たり前だと誰もが信じで疑いません。東日本大震災の時のように、人間はどうしようもない無力感というものを突きつけられます。人はそこで絶望感に苛まれます。そもそも人間は、地球に生きていることに対し、なぜこんなにも不公平で不平等で、もろく儚い立ち位置なのでしょうか。果たして人間の存在とは、死ぬまで文明生活に執着し、ただ老いて、死ぬことのみが真実であり、ただこの世の成功が人間の存在意義の前提となっているのでしょうか。自分自分と人は言いながら、根本的になぜ国や生まれた場所や性別や環境を自分で選べなかったのでしょうか。それが叶わないのであるならば極論、人間は所詮虫けらのような生命体に過ぎないのでしょうか。そのことに関しては人は本気で疑問を抱かず、何かに問いかけることなどないと思います。そもそも何に問いかければいいかもわからなのです。そういう事情で仕方なく日々の仕事、食事や娯楽などに重きをおいて考えないようスルーし続けて、死ぬまで文明生活に没頭せざる得ないという事実があるということに疑問を呈し、固定観念にとらわれずアンテナを張っていざその時に直感的に感じられるかどうかが、本当の真実に出会える鍵となると思います。


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  • 2018.05.24 Thursday
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