<< 劣化のみ | main | 「 捨 」 >>

”感じ” るセンス

直感・感覚・感性といったものは、日々私たちが無意識に用いているものです。

イメージが湧いた。予見(察知)した。感じとった。という類の話です。

それに意識がどう従い、どう切り分けていくかが、私たちがこの人生を生きている本質(目的)を捉えるセンスみたいなものに直結するような気がします。例えば、億万長者になった道筋において直感・感覚・感性を用いて、その通りになったとします。果たしてそれが人間が生きている本質(目的)の答えでしょうか。それとも、実は遠ざかっているのでしょうか。その意味が今の人類には見分けがつかず、盲目になっていると感じます。たとえ億万長者になろうとも、その裏で多くの裏切りや妬み、嫉妬が渦をまいています。人一人の人生が、人一人で完結するわけではありません。この世のありとあらゆる資源を人一人で形成して自給自足している人間などいません。オギャーと生まれてこのかた、水をはじめ、多くの資源を拝借している形です。それを応用して車を作ったり、料理を作ったりとしているにすぎません。いくら億万長者になろうが、お金の力で水一滴も創造することはできないのです。億万長者の意義とは一体なんなのでしょうか。しかも死んでお金は持っていけません。ですが、この世の価値観は億万長者という定義においていわゆる人生の成功者であり誰もが羨む存在と位置付けています。名声を得たい、ラクしたい、いいもの買いたい、あれしたい、これしたい・・。欲望の象徴がお金と言っても過言ではありません。ことわざに  井の中の蛙大海を知らず  とあります。文明、つまり物質が人生の目的の全てという人は大海を知ろうと思いません。そもそも、文明以上の大海などあるはずがないと思い込んでいます。人間は大海を知らずに死んでいくのが当たり前となっている。当然文明生活が人生の本質(目的)と思わざる得ません。ただ人間は一度でもこの社会生活が正真正銘の正しい世界、完全無欠の偽らざる世界だと心にも思わない湧き出る心情(良心)があることは確かです。それが億万長者であれど、その湧き出る思い(良心)というものは、避けようがないのもまた事実でしょう。そして本質(目的)を掴むか否か、さらにいえば、本質(目的)に出会うか否か。それは究極のセンスと言っても過言ではないほどの壮大な事柄です。

 

 

 

 


スポンサーサイト

  • 2018.05.24 Thursday
  • -
  • 13:33
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>
sponsored links
selected entries
archives
recent comment
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM