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矛盾を原動力に

人間社会で生活していくことで、正しいこと、正しくないことという概念はあります。ですが、よく考えてください。それはあくまでもこの世の限定の話。死んでからもこの世の秩序は果たして通用するのでしょうか? しかも誰が死んだ後の保証を約束しているのでしょうか?そう考えると、その正義はこじ付けであり、腑に落ちない部分も多い。つまり胡散臭く、信用ならないということです。実際の世界を客観的に見渡せば、確かにと思えるのではないでしょうか。そう考えると、宗教なんて一番胡散臭いのではないでしょうか。何の根拠もないのですから。

人生の本質から考えると、文明すべての事柄は矛盾だらけということが言えます。政治を見れば一目瞭然。そんな事柄に正しい、正しくないをつけている私たちは、実に本末転倒なことをしているとは思わないでしょうか。

完全無欠の正しいこととは、この世界の事柄すべてにおいての真逆であって、矛盾は一切ない状態だと思います。極論、私たちの人生において本物を掴むためには、逆をいえば正しくない事柄がなければ、本物の概念もつかみようがないということだと思います。

偽物がなければ本物という絶対は、理解しえないでしょうから。実はそうじゃなかった。こうなっていたのだ。という理論を捉えるためには実生活の矛盾や正しくないことを経験するからこそ、そう思えるのではないでしょうか。

そこをうまく利用し、本物を捉えるための原動力とすれば良いのだと思います。

ただ、正しいこともあります。お肉は美味しいということです。花が綺麗だということです。犬はかわいいということです。

なぜ肉がうまいと思うのかなんて、普通考えもしないでしょう。実はそれも本物を捉えるための重要な要素であるということは、夢にも思わないことでしょう。

 

自分自身のダメな矛盾はしかり、そういう最悪の自我は自分では消すことはできませんが、無視はすることはできます。なぜ無視かといえば、自我というものは実は価値がないもの。それは一見価値があるようなものとして存在するが、ゴミ屑のようなもの。

実はそういうことでした。相手にしなければ良い。人間の悪いところは、それに執着してしまうこと。自分の正体を知らないからそれに一生囚われ続けたまま死んでしまいます。こういう自分だってそういう恐れがありますが、それ以上にこの世界に矛盾を感じています。それに死という部分にも怖さがあります、本心は死にたくないという気持ちです。死んで天国へ行くという風潮が信用ならないからでした。だからしがみ付いてまでも本質を掴みたいと思います。自我との葛藤は常ですが、それ以上に死にたくありません。

こんな角度で人間の実体という本質をついた人などいません。たとえ疑おうが疑いようもない事実… これこそ人間が一生をかけて掴まなければならない案件ということです。信じれば救われる的なものではなく、人間はこうこうこうなったから、こういう結果に至り、今がある。このままじゃ人類はダメだからこの地球上でこういう勉強をしてこういう経験をし、一生を終えれば次の展開がこうなっていくからこの人生で何をすべきか。そこまでのプロセスにおいて、経緯をつかみ、納得しどういう方向でどういう道を歩んでいくのか。世界はありとあらゆる災害や事件のスケールがますます大きくなっていくと感じざる得ません。


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  • 2018.05.24 Thursday
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