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宗教という諸悪

文明社会が人間の存在意義をややこしくしています。なぜ地球に人類が形成されているかの根本が判らないから、人生に虚しさを感じでしまうのは当然といえるでしょう。いくらこの世で成功(地位や名誉やお金をえることがそうらしい)という状態を得ようともです。それ故に、人はさまざまな快楽によりその穴をうめているのです。金を使いまくっても、女性とはべっても、地位や名誉で尊敬されても・・・埋めても埋めても死ぬまで虚しさは埋まることはありません。たとえ私は今幸せだと断言している人であろうとも、その人の本心までは探れません。人生の出来事で直接的であろうが間接的であろうが、虚しさが皆無な人間などいるはずもないのです。快楽はたしかに一時の幸福感や解放感や気持ちよさに苛まれます。ですが、それらは次から次へと埋め続けなければ、死ぬまでそのジレンマとの葛藤ということ。結局この世の人生など儚いものなのです。死んだらそこで終わり。全くこの世の成功などは意味すらなさないということです。死ぬまでに掴むべき人間が生きている意味の実体を捉えない限り、人は何の意義も得られないまま、快楽と共に道連れで死んでしまうのです。しかし見つけようとすれば、その隙間をついてくる諸悪の根源が発生しているために、私たちはますます存在意義、つまり何のために人間は生きているのかという部分をぼやかされ、盲目にしてしまっている諸悪の根源があるのもまた事実・・ 例えばそれが宗教というものです。混沌としている人類に輪をかけて宗教というものは混沌とさせている。

人類は、仕事、遊び、家族、勉強  生活の範疇に押さえこまれ、だけならまだしも、宗教という強烈な麻薬に侵されてしまった人も多いのです。メジャー、カルトを含めた様々な宗教は人生を好転させるためのもの、有難いものと捉える人も多いのですが、基本全てはビジネス。それ以上でもなければ以下でもない。中身のない商品… それが宗教を言う狆η筬瓩箸いΔ海箸任后

目を覚ましてください。信じれば死んで天国へ行く? 何の根拠もないものをよくそんなジョークを公然と言えたものです。

私たちは身に秘めている理性でうすうす文明社会に、宗教にうさんくささを感じてはいるものの、どうすることもできず、それに陶酔し、命を預け、時には諦め、絶望し、黙殺し、理性を押し殺している状態だと思います。水ひとつ創造すらできない人間がさも科学の進歩を自分の手柄と思い上がった結果が醜い争いや滑稽な茶番になり下がってしまっています。今の人間はそれすら気付けないほど哀れな存在なのです。それもこれも文明というシステムを構築してしまったユダヤ民族の驕りと思い上がりの故。人間は神の如く地球で確固たる存在意義を示していても、自然の力なしでは何もできないということです。いけしゃあしゃあとよく我が物顔でいれるものかな…  たかだか数十年の肉体生活。死んでなお金と一緒に天国にでも行けると思っているのか。めでたいにもほどがある。そんな中でも人の精神み歪め、利用し、ブクブク私服を肥やしていく宗教というものほど最悪なものはないということです。


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  • 2017.09.13 Wednesday
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